新しい日本語教授法 JAMPsystem!

2018年夏から、台風先生のTAとして日本語教育に奮闘しているIkumiが実際にアメリカの大学での日本語教育やアメリカでの刺激的な生活を通して考えたことや学んだ事などを記録していきます。

教師に必要な三つのスキル <一年目の振り返り①>

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皆さん、こんにちは!

まだ11月なのにリッチモンドではつい最近、初雪が降りました〜!

まだ紅葉は残っているのに、雪が降っているという秋なのか冬なのかよく分からない景色でしたが、だんだんと冬に向けて寒くなっているリッチモンドです。

 

 

ではさっそく、

本題の「教師に必要な三つのスキル」についてまとめたいと思います。

これは、TA一年目のだいぶ最初の方に鈴木先生に教えてもらった事ですが、2年目の今でも常に頭の隅っこで必ず意識している事です。

 

✨教師に必要な三つのスキル✨

 

それは、

 

1.知識(知的理解)

2.スキル

3.パーソナリティー

 

だそうです。

 

 

1.知識とは、知的理解のことで日本語に関する知識です。例えば、

音声学(どう音を出すのか。「い」の音の舌はどの位置か、「す」の音はどこから出すのか)、

音韻学(Miller imageなど。「本を」、「本も」、「本の」のそれぞれの「n」の音がその直前の音の環境によって変化すること)、

形態論(食べます、食べません、食べました、食べませんでしたのように、動詞は-masが付く)

など他にもたくさんありますが、文法もここに属すると思います。

教師がそういう基礎的な事を知的に理解して整理していないと、学習者が正しく発音できなかったり、分かりやすく説明することができないと思います。

よく学習者がミスをするもので、助詞があると思います。助詞も同様、助詞のルールやどんな時に、どれを使うのかなど教師がしっかり理解していないと学習者に説明することができず、効率よく学べません。

教えるということは、自分がしっかり理解しているからこそできることで、そうでなければならないと思います。

 

 

2.スキルは、勉強したこと(文法)をいつ、どのように使わせるかということです。

リッチモンド大学の日本語のクラスは、レクチャークラスとドリルクラスがあります。レクチャークラスで知的理解をし、ドリルクラスでスキルにするというやり方をしています。ここでいう、知的理解とは文法のことです。レクチャークラスで文法を教えて、ドリルクラスで実際にその文法を使って会話をします。それも、ただただ単発的に話すのではなく、きちんと流れのある内容で会話をしながら勉強したことを自然に使わせるようにします。

私は、この知識とスキルの二刀流のやり方にすごく感動しました。

というのも、英語を学校で習っていたときのことを考えると、文法のクラスはあれど、それを実際にスキルとして使わせる授業はなかったと思うのです。

中学生の頃は英語は好きだけど、「文法」のクラスは大嫌いでした。つまらないからです。でも、それは文法の大切さをわかっていなかったからですが、今は「ものすごく大切な事だ」、「文法を教えなかったらどう教えるのだろう」と疑問に思うほど、文法の大切さを実感しています。

文法とは簡単にいうとルールの事です。

先生が教えてくれたことをそのまま伝えますが、自転車の乗り方、つまり足はペダルにかけて、手はこんな形で、ブレーキはこうだなど、「ルール(乗り方)を教えることがレクチャークラス」で、「実際に自転車に乗せて走らせてみる」というのがドリルクラスだそうです。実際に自転車に乗って、上手く乗れる人はいいですが、転んでしまう人もいると思います。そういう時に、「どうして転んでしまったのか」「どうすれば転ばないか」など助けてあげるのが教師の役目だそうです。多くの教師は、自転車の乗り方だけ教えて、実際に乗らせないため、うまく自転車に乗れない学習者がいるそうです。効率的に教えれば、時間はかかってもみんな上手く乗れるようになるはずなのに、そこまでケアしない。

実際にスキルとして使わせないから、文法だけ教えても意味がないのは当然です。

文法という土台があってこそ、そこから4技能でスキルにすることができるのです。

土台を構築しても、いつどんな時に、どう使うのかと体験させなければなかなか身に付かないと思います。

 

 

3.パーソナリティー

これはずばり、教師自身の哲学です。自分はどういう人間か、それをどう表現するかというのが大切だそうです。自分を表現するツールはたくさんありますが、言葉もその一つだと思います。書くのは得意ではないですが、買いて自分の考えを伝える、自分を表現できるようになるという事も実は、個人的なこのブログの目標の一つです。

リッチモンド大学の日本語のクラスの話に戻すと、教師自身のパーソナリティーもクラスの際に必要不可欠なものだと言えます。特に、ドリルクラスでは、教師が自由に話のテーマや流れを決めますから、教師が興味のある物、そしてその会話の学生の反応などで大きくクラスの雰囲気が変わってくるそうです。

このようなドリルクラスは受けた事もなく、した事もないので、初めはとても大変でした。流れのある会話をしなくちゃいけないと言われ続けてもそれが一体どういう意味なのか、分からなかったのです。最初の頃のドリルクラスの教案などを見返してみると、話の展開が急すぎたり、この文法を使わなくちゃいけないから入れたというような何のコンテクストもない単発的な会話だったりします。同じ内容のレッスンも年やメンバーが違えば、話の流れは変わってくるのは当然で、準備している事とは違ってもそれに即興で対応できるスキルも必要です。

ドリルのネタを考える意外にも、教師のパーソナリティーはあらゆる所で大切で、学生に影響を与えていると感じます。

例えば、クラスで会話を覚えてこない学生にただ「覚えなさい」というのは簡単です。

覚えなくちゃいけない、というメッセージがすぐ分かるので、悪くないと思います。しかし、どうして覚えなくちゃいけないのか、何のためにわざわざ覚えさせているのかと、教師が理由(哲学)を持っていないと、学生に本当の気持ちは伝わらないはずです。

鈴木先生は「初めのうちは、コピーキャットをして完全にネイティブの真似をすることが大切で、それを繰り返しているうちに、音のかたまりやイントネーションが身についてくる」と言っています。

また、会話を覚えるのが苦手な学生には「どうすれば解決できるか、覚えるのが苦手ならどうすれば覚えることができるのか自分で考えて解決する能力も必要だ」とも言っていました。こういう言葉は、クラスだけの為ではなく社会に出てからも今後の人生に影響を与えると思います。

教師自身がしっかりと自分の哲学を持っていて、それをきちんと伝えることができると、学生のモチベーションも変わってくるのではないでしょうか。

 

 

一年目に気づいた知識とスキルでさらに見えてなかったことに気づくこと、考えること、そしてパーソナリティーを構築していくというのが今後の目標です。

 

すでに経験がある教師の方には当たり前のことをベラベラと述べてしまいましたが、気づいてくれた事など教えていただけると幸いです。

 

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